《 自分の本分と、多くの情報。》
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(以前にも書いた記事〈「何に関心を向けるのか? 」〉の中で、専門のことは、
専門家の方々にお任せするのでいいのでは?ということを、サラッと 触れたことがありますが、)
それぞれが、各々の本分(役割)を全うすることに
重きを置けばいいだけ なのだと思います。
※それぞれの 本分(役割)は、それぞれが素晴らしいです。
そして、みんなが それぞれの 本分(役割)を 務めてゆくことで、社会が成り立っています。
今の時代は、いろいろ 情報が受け取れる 時代なので、
自分の「本分(役割)」に必要な 情報も受け取りやすいですが、
それ以外の 自分の「本分(役割)」には必要がないという 情報も
含めて、自分の下に どんどん入ってきやすい環境と なっています。
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その環境の中で、自分自身が、どんな情報を受け取り、
そして また、どんな 情報に対して、レスポンスをするのか。
そういう、選別をしてゆくのが、とても大切なのだ と思います。
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今回は、自分の「本分(役割)」について や、
多くの「情報」に対して、どう 接していったらいいのか?について、
また 「社会」についても、取り上げていこうと思います。
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《 あなたの「本分」とは。》
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人は、生まれ持って、
既に 多くの多くの「特徴」があります。
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※大小の「特徴」が ありますし、また その人が持っている 多くの特徴が 様々に重なり 合っているという意味でも「特徴」といえます。
(「特徴」が、何かの 一つの特徴に 特化した方が 素晴らしいと いうことでもありません。その人が持っている 多くの特徴が、重なり 合っている その模様というか「個性、特徴」そのもの自体が 素晴らしい。その人その人 それぞれが 素晴らしい。)
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その特徴というものは、ある見方によっては、
良い様に映りますし、また 別の見方によっては、
悪い様にも映ったりします。
(なので、勘違いされがちですが、)
その個々の 既に 持っている「特徴」自体が、
既に 個々に備わった(貴重な)「才能」なのです。
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言わば、ただ その「特徴(才能)」を どの様に使うか、
どう 役立てるか、ということだけ なのです。
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シンプルに 言います。
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あなたは、その あなたの存在自体で 既に素晴らしいのです。
「あなたの存在」自体が「才能」なのです。
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人は、自分自身のことは「当たり前」と感じていて、
「普通のこと」だと思っています。
もしくは、自分自身のことをネガティブに感じていることもあるでしょう。
しかし、それらは、あなたの(貴重な)「特徴(才能)」なのです。
そんな素晴らしい特徴(才能)を、自分自身が、
気付かずに活用していない場合や、恥ずかしいと勘違いして、
覆い隠してしまっている という場合があります。
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そうした余分なもので覆い隠されている 場合では、
あなたの「良さ」は隠されてしまって出てこないんです。
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〔前回の記事の文中の《 削ぎ落とすことで、見えてくるもの は多い。》の所でも書きましたが、
今回の件の「余分なものを 削ぎ落として、元々 持っている自分の
「特徴(才能)」を表現する」という意味としても、「自分自身を 削ぎ落としてゆく」こと は有効なのだと思います。〕
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どうか、本来の元々の あなたが、素晴らしいということを、
あなた自身が 認めてあげて下さい。
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そして、
ありのままの あなた(の才能)を開示し、表現していって下さい。
その延長線上に、あなたの「本分(役割)」というものがあるんです。
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《 自分の役割と、関係の無い情報。》
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さて、世間には、自分の「本分(役割)」ではない もの があります。
(というか、自分の「本分(役割)」ではない もの の方が多いです。)
そういう、自分の本分(役割)以外のことは、
自分には どうしようも出来ないことが多いのだと思います。
しかしながら、自分の本分(役割)以外の情報を 過剰に受け取り続けてしまい、
そのことに対して、憤ったり、悲しんだり、一喜一憂してしまう。
そういうことが あると思います。
けれども、そういう状態というのは、生産的ではない様に思います。
〔自分に対して、自ら ストレスを抱え込ませてしまっています。〕
(出回っている情報が正しいのか、出回っている情報だけが全てではない という点からしても、出回っている多くの情報をそのまま全て鵜呑みにしてしまうのは、とても 危ういのだと思います。)
〔今、自分がやるべきことをやれば それで いいのだと思います。〕
※ ストレスを溜め込まない為に → 〈リブログ:「良いニュース、悪いニュース。」〉
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そして、自分の本分(役割)以外のことに対して、
出過ぎた行動をしてしまうというのも、
考えもの なのだと思います。
なぜなら、自分の本分(役割) 以外のこと というのは、
(自分では)知っている気になっているだけ ということが多いからです。
その分野の専門の方々は、その分野においては、詳しいですし、
また その分野に おいての情報を より多く 持っているのだと 思います。
(専門的な方々は、)その多くの 知識や情報 の中から、
多くのことを考え、判断して、行動に移しています。
そのことを理解した 上で、自分の仲間内の範囲で意見を述べることなら、
全然 構わないと思いますが、(その 自分の本分(役割)ではない(個人的な)意見を) 世間へ向けて
批判的に発信してゆく、というのは、少々 野暮なのではないでしょうか?
〔 ↑ 相手の専門的(本分)な 分野の行動に対して、足を 引っ張ってしまっている。〕
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〔ちなみに、相手の行動に対して、意見する、批判する、とういことが、
その人の 本分(役割)という人も 中には います。〕
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《それぞれの「本分」と、社会。》
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先程、
その人その人が 生まれ持った「特徴」「才能」が、
その人の自身の「本分(役割)」に繋がることは、既にお伝えしました。
そして、その「特徴」というものは、素晴らしいものであり、
また一方で、至らないというもの であることも お伝えしました。
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人は、多かれ少なかれ、得意なもの、不得意なもの があります。
(あって 当然です。)
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人間社会の 素晴らしいところは、それぞれ個人が 本分(役割) を持って、
それぞれが 活きる(得意な)分野で 活躍し、また、お互いの苦手 を補いながら、
(全体として)社会生活が成り立っている というところだと思います。
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※その人その人、それぞれの「本分」は、
それぞれが共に 素晴らしいです。
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野菜を栽培するのが得意な 人は、野菜を栽培し、
大きな車の運転が 出来る 人は、その野菜を運ぶ ドライバーをして、
料理が得意な 人は、その野菜をお店で 料理をして提供する。
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(栽培が苦手な人や、大きな車の運転が出来ない人、料理が苦手な人は、
それらの苦手なことをしなくていいんです。
別のことで 自分が「普通に出来ること」「やることが得意なもの」を 本分(役割)とすれば いいんです。)
※ちなみに、この「普通に出来ること」というのは、難なくできることなので、実は 得意なことなのです。
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この様に、社会というものは、
それぞれの長所を活かし、短所を補いながら、上手いこと成り立っています。
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なので、もし、あなた自身で苦手なことを「自分が やらないと(やる人がいなくて)ダメだから」と、
必死に やっている様なことがあるとすれば、実は それは(あなたがやる)必要がないこと なんだと思います。
あなたが やらなくなったら、(面白いことに) その内 誰か それをやる人が 現れます。
※今回の記事で、経済的な差 などの 話に関しては、本題ではないので 取り上げません。
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《 自分の本分以外との繋がり。》
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そういう「社会」の成り立ちの 活かし合って、補い合うという、
意味から考えて、自分の本分(役割)ではない(自分の分野以外の)情報を
過剰に受け取ること や、その情報に対して 過剰に意識を向けて、
過剰に行動する、ということは、個人(本人)としても、
社会(全体)としても、宜しくないのだと思います。
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しかし、その一方で、
(自分の本分(役割)以外の)情報を まったく
入れないのは、自分の本分(役割)以外の人 との
関わりが 出来なくなってしまいます。
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なので、まったく 情報を入れない というのも、また少し違うように思います。
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自分の本分(役割)以外のことは、無関心でも良いというのではなく、自分の本分(役割)以外のことも
社会全体では繋がっているので、情報としては入れておくように
する方が いいのだと思います。
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しかし、 (自分の本分(役割)以外のことは)過剰な量の情報を収集する 必要もないですし、
また、その情報に対して 過剰なリアクションもする 必要はないと思います。
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そして、その(自分の本分(役割)以外の)分野のことは、その分野の専門的な人に お任せをして、
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なにより 自分は、大切な 自分の本分(役割)というものに集中する。
〔今、自分が やるべきこと、やれること、に集中する。〕
そういう社会とのバランスが、大切なのではないでしょうか?
〔自分の本分(役割)の分野 以外のことに 囚われているときは、(大切な)自分の本分が 疎かになってしまっています。〕
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〔ちなみに、仮に、自分の本分(役割)以外の分野で、どうしても変えたいことがあるのなら、それに適した人の 力を借りることが大切です。〕
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ちなみに、情報の見分け方として、
自分の(必要としている)本分の分野の情報なのか、自分としては(それ程)必要のない情報なのかの、見分け方をシンプルにお伝えするとすれば、
その情報を受けとるときの 自分の感情が、 ポジティブなものか、
ネガティブなものか、 で判断が出来ると思います。
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ニュースを見ていて、自分の(必要としている)本分のものは、その情報に対して、
自分は熱中して集中して没頭してしまうような情報。 ワクワク楽しい感情。
ウキウキして猛烈に集中しています。 スゲー♪ 面白い♪ というような感情です。
一方、自分には(それ程)必要のない情報の場合は、その情報を見ているときに、
憤りを感じたり、 葛藤が生まれたり、 悲しみがあったり、
不安感、 恐怖感、 心配 、、などというような感情です。
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日頃、ニュースを見ているとき(情報を受け取るときに)に、
自分は、今、(自分に とって)どういう 情報を受け取っているのだろう?
自分は、今、どういう 感情になっているのだろう?
と、確認しながら、情報を受け取ってゆくのがいいのだと思います。
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《 個々の「本分」と 共存。》
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あの人には、あの人に しか出来ないこと
(専門的な、あの人の役割)が、あります。
あなたには、あなた しか出来ないこと
(専門的な、あなたの役割)が、あります。
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各々が、自分の 本分(役割) において、
集中すべきことが あります。
それぞれが、それぞれの 相手の 本分(役割)を
理解、尊重、信頼してゆき、
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各自が、自分の本分(役割)をしっかり理解して、
それを全うしてゆく ということが、
個人としても 健全な状態ですし、社会としても 健全な状態と
言えるのだと思います。
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〔それぞれが、(個人としても)活き活きと 生きて、また 相手の 本分(役割)を 理解、尊重、信頼し、社会としても、お互いの良さを活かし お互いに助け合う。そういう状態が 理想的なんだと思います。〕
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〈 過去の記事 〉
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コメント
i love this amazing article