〈仕事、プライベート〉
何か やることを濃縮に詰め込んだ時間。
そういう時間だけが、
必ずしも価値のある時間 という訳ではない様に思います。
〔※勿論、やることを濃縮に こなした時間も 価値のある時間と言えます。〕
例えば、
何かをするというのではないが、
ただ 大切な人と同じ時を過ごす。
それだけでも、とても価値のある時間であると思います。
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何かをやっていることも、価値のある時間であるが、
何もやっていない という時間も また、
価値のある時間であると思います。
特別なことを 何もやっていない、という時間の方が むしろ、
一緒に過ごしている人との時間は濃厚なのだと思います。
〔何もしていないので、お互いの意識が他へ行っていない。
ただ お互いが同じ時と場所を共有している という状態。
そのことが とても価値のあること だと思います。〕
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そして、この 特別なことを 何も やっていない、という時間というものを、
一人で過ごす場合もまた、それはそれで、価値のある時間なのだと思います。
〔一人で過ごす 時間というものは、内観するのに とても役立ちます。〕
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なので、
『静』も『動』も、どちらとも それぞれが貴重なのだと思います。
『静』と『動』の、それぞれの時間を、
その時に合った タイミングでの過ごし方を選び、
その時に合った 時間を充分に満喫する。
そういう、
流れに逆らわずにその時々に 相応しい時間の過ごし方で、
その時に 相応しいものに没頭する。
そういう時間の過ごし方が、
一番 理想的なんだと思います。
※分かりやすく『静』と『動』という極端な例を出していますが、
その時によって、必ずしも、極端な状態でなくてもいい。
『静』と『動』の調度 真ん中くらいの状態が適していることもあるし、
真ん中よりも、少しずれている位のバランスの方が適している場合も
勿論あります。
ただ 言えることは、「何でなければダメ」というものは無いということ。
その時々によって、合うものがある。
それに従うのがベストなんだと思います。
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さて、改めまして、もう一度話を続けます。
時代の早い流れにテンポを合わせた行動だけが、
価値のあることではないということ。
ただ、スローテンポの生活は、今までの 慣れた(時代の流れに 合わせた早い テンポの)生活とは違うので、
何か心地が悪いというか、不安な気持ちになるかもしれません。
が、しかし、その時間を実感して、よくよく噛みしめてみると、
その価値が よく 分かると思います。
詰め込み過ぎない時間の過ごし方、というか、
むしろ、何も詰めない時間の過ごし方というのは、
例えるなら、
詰め込む時間の使い方が、都会の暮らしの貴重な体験とするなら、
詰め込まない時間の使い方は、田舎の暮らしの貴重な体験。
んーー、ちょっと、伝わりづらいですかね(笑)? (^-^;
または、(詰め込まない時間というのは、)
幼い頃の、何にでも 目についてものに 興味を持って、
何でも吸収して、過ごしていた時間、というところだと思います。
隙間を 空けておいた 方が、入ってくるんです。
何でもギシギシに詰め込まない様にしておいた方が、
(今まで気づかなかった)いろんなものが 目に付いて、
素晴らしい発見や気付きが生まれます。
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人も そうですが、時間においても、
全てに おいて、素晴らしいのだと思います。
いろんな見方を すれば、それぞれが それぞれ素晴らしいのだと思います。
そういう視点で見て、
忙しい時間も素晴らしいですし、
何もしていない様な時間も、また
別の価値があり素晴らしいのだと思います。
その時々の時間を 満喫してゆきましょう♪
(*´▽`*)
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