「見栄」について、

 

見栄』について、

 

「豊かさ」を求めてもいいですが、

「見栄」は、宜しくない。

 

見栄とは、

とりあえず周りを取り繕っているだけなので、

現状と ズレが生じています。

 

見栄とは、

他の人から見ての 自分への体裁を保とうとする行為。

(判断基準が他の人にある。)

 

 

見栄になると、

その誤差を埋め合わせるために、

何かを犠牲にしてしまっている

ということになるのでしょう。

 

 

見栄を張る人は、

見栄を張って、周りからの見た目が もっともらしかったら、

満足なのでしょうか?

 

 

 

本心は、そうではないと思います。

 

 

本心は、

見た目だけでなく、

本当に(見栄を張らなくても)良い状態になることだと思います。

 

 

なので、

そこは、「とりあえず」とか「外見だけ」とかで、逃げないことです。

 

 

今の現状を受け入れつつも、

自分自身に期待と希望を持って接してゆく、そして行動してゆく、ということです。

 

 

現状を冷静に見て(把握して)ゆき、

その現状の部分を(目をそらさずに)

今後どのように持って行くか?ということだと思います。

 

 

(※外見だけ取り繕っていると、それはそれで成立しているという感覚になってしまって、

安心してしまう ということになりかねません。)

もちろん、現状に満足している人は それで構いませんが、

現状に満足していなくて ごまかしている人は、

心にズレが生じています。

 

 

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「武士は食わねど高楊枝(たかようじ)」

 

自分自身に対して、気位を下げない、

ということなのか、

 

周りの目を気にして(他の人を基準に考えて)、それに対して見栄を張る

ということなのか、

 

によって、意味合いは大分違うように思います。

 

 

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自分自身が生活をしてゆく上で、

大事なことは、自分自身の目であろうか? 周りの人の目であろうか?

 

 

答えは簡単である。

自分の人生は、自分自身の目が大切である。

自分自身が自分のことを、どう捉えているのか

ここが とても大切なのだと思います。

 

 

(一方で客観的な見方もしつつも、)自分自身に対して、期待と賛辞を惜しまない。

 

 

その様な、自分自身が「自分」の一番のサポーター

である ということが大切なのだと思います。

 

 

 

自分自身が「自分」の可能性を一番信じている。

 

そういうことが大切なのだと思います。

 

 

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Gerhard GellingerによるPixabayからの画像

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