もしかしたら、
相対的に(見て)頑張るのは、
違うのかもしれない。
誰かが頑張っているから、とか
みんなが頑張っているから、とか
フツーは、そうだから頑張る、とか
そういうのは、違うのかもしれない。
(絶対的な発想で)自分の軸として、
努力する、向上する、
ということの方が、ひょっとすると、
うまくいくのかもしれません。
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相対的な順位付けは、負担と
なる人も出てきます。
争う、競い合う、という、
周りの人を、判断の基準にして
しまうのは、危うさがある。
周りの人のことは、
(本当のところは)想像でしかない
ので、
どこまでいっても、不確かな情報である。
そこを判断の基準として
しまうのは、キケンに思う。
また、
物事は(人も)多角的に捉えられるが、
その一部分のみを
切り取って、
(その部分のみで)評価し合うのは、
とても、危うさがあるように思う。
例えば、
勉強が得意な人もいれば、
運動が得意な人もいる、
芸術的センスが凄い人もいる。
どれかの一つの分野が 特に強調されて得意な人もいれば、
複数の いくつかの分野が得意な人もいる。
マルチに全体的に ある程度できる人もいる。
特徴なので、誰が、一番スゴイとかはない。
多角的に見て、
それぞれが素晴らしい存在なんだと思う。
一つの分野で素晴らしいなら、
その分野で大いに活躍してゆけばいいし、
2、3個の分野が 得意なのであれば、
その得意な2、3個の分野を合わせて
活かせることをやってゆけばいいし、
マルチに全体的にこなせるのであれば、
それを活かしてゆくものをやってゆけばいい。
一人一人、それぞれが個性なので、
(誰かと自分を比較しても意味がない
それよりも、)
自分の個性・特徴を
向上させてゆくこと、
活かしてゆくこと、
世の中に表現してゆくこと、
に集中してゆく方が
いいんだと思う。
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得意なものは得意。
苦手なものは苦手。
それで、いいんじゃないかな?
と思います。
いろんな(できる、できない)自分を
さらけ出していって いいんだと思います。
凄い(できる)人が、
できない部分も見せると、
親近感というか、
かわいらしいさ(魅力)を
さらに感じます。
できると、できないを
さらけ出した方が、
人間的な幅というか、深見を
感じられて、
その人の魅力が増すんですかね?
意図的に、見せるのではなく、
自然な自分をそのまま、さらけ出す。
最初はコワイですけど、
そのままさらけ出してみる。
そうすることで、
隠しておく部分の必要がなくなるので、
余分な負担もなくなるので、
さらに得意を向上させやすくなります。
また、さらに
人間味が増して、
愛されやすくなってゆきます。
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《まとめ》
他の人と争わなくていい。
人は、そのままで既に素晴らしい。
(既に 素晴らしいけど、もっと欲張って (得意を)
向上して、さらに素晴らしくなっちゃおう♪)
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※ちなみに、その人の カルマ的に、やってはいけないこと、望ましくないこと、陥りやすいこと、は やってはいけません。(そのままの自分とか関係なく。)