本人が必要なことは、
(本人には)負担ではないのでしょう。
というか、負担と感じていないのでしょう。
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〔自然と、淡々と、粛々と、こなしているのでしょう。〕
本人が、
「頑張らないと」とか、
「(自分に)負荷を掛けないと」
って、いうのは、
ひょっとしたら、
自分の(本来の)方向性から、
違う方面へ行って
しまっているのかもしれません。
〈「頑張らないと」とか、「(自分に)負荷を掛けないと」と、
感じているときは、その方向は、
(本来の方向とは)違うよ、
というセンサーになるのかもしれない。〉
※ただし、直面してくるものに、逃げずに
正面から向き合うことが、前提です。
(直面してくる課題に対しての逃げる口実にするのは違います。)
自分の好きなこと、
自然なこと、は、
「頑張ってやらないと」と思ってやる
というより、
ついつい やってしまうもの。
自然とやってるもの。
自分にとって(本来の)必要なもの も、
熱中して、時間も忘れて、
やってしまっているもの。
そして、
(自分自身は)それだけやっても、
そこまではシンドくないもの。
(自分に)そういう感覚の
ものがある場合は、
それを大切にしてあげて下さい。
それをやり続けることは、
後々に、あなたの宝となるんだと思います。
他の人から、なんと言われてもいいんです。
あなたにとって、それが熱中できるものなら。
それだけで、貴重なものだと思います。
ただ、自分ではなく、
他の人がやっているものを、
欲しがって自分がやっている場合は、
シンドかったり、
焦燥感を感じたり、
するのだと思います。
なぜなら、
それは、自分の(本来の)方向性から、
違う方面へ行ってしまっているから。
本来の、
自分のやりたいことは、
シンドくないし、
やっているだけで楽しいし、
熱中してしまうものなので、
(そのとき)上手くいかなくても、
やってしまっているものなんです。